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表紙


『ペルメレック電極40年史』

A4判、上製(化粧箱付)、352ページ、2009年12月発行


二人の天才と一人の侍が切り開いた未来への扉、
それに続く先人の努力の足跡を再認識し、共有化することに腐心しました。

ペルメレック電極株式会社 開発部 第二グループ 担当部長 鈴木 敏弘 様
開発部 第二グループ    主任 清水 仁美 様

40周年で社史編纂に取り組まれた理由を教えてください。

完成社史

当社は創業以来社史を発行したことが一度もありませんでした。創業時の関係者、つまり時代の“生き証人”となる方々は既にかなり高齢で、創業の背景等を正確に聞き取り調査するには今をおいてないと考えました。あと5年、10年と待っていたのでは創業の趣旨を正確に後世に残すことができなくなることから40年での発刊となったのです。

「歴史・資料の継承」と「社員教育」を編纂目的としたそうですね。

完成社史

当社創立には当時の業界の特殊な時代背景が深く関わっています。その歴史を検証し、整理して後世に残すこと、社員一人ひとりが自社のアイデンティティを再確認し共有することは、モラルアップ、モチベーションアップに繋がると考えたからに他なりません。
1969年、当社は三井物産とイタリアの化学メーカー・デノーラ社の合弁会社としてスタートしました。当社が製造・販売する「寸法安定性電極」「不溶性電極」「金属電極」(登録商標:DSE ®)が使用される主要現場のひとつに塩素・苛性ソーダを同時生産する食塩電解プロセスがあります。1967年、6大石油化学コンビナートの水銀電解プラント建設の商戦で遅れをとっていた三井物産が受注に成功したのは、オランダ人の天才発明家・ベア氏が発明したDSE ®をデノーラ社が買い取り、三井物産に技術供与したからです。DSE ®を発明したオランダ人の天才発明家・ベア氏とDSE ®の重要性、工業化を最初に確信した天才化学者デノーラ氏との出会い、天才化学者デノーラ氏と日本での工業化に貢献した三井物産の侍、中村正氏との出会い、即ち、二人の天才と一人の侍の出会いがあったから当社は誕生しました。
食塩電解プロセスでは当時消耗が激しい黒鉛電極が使われていましたが、過酷な運転条件化でも消耗しない“夢の電極”と呼ばれるDSE ®は世界に先駆けて日本で最初に工業化されました。DSE ®は食塩電解プロセスの驚異的な生産性向上に貢献しただけでなく、今日の最大関心事である「低炭素社会」の実現においても多大な貢献を果たしています。黒鉛電極と比較すれば年間約14億kWh、約17万人以上の電力消費量に相当する計算です。
当社社員の中には、こうした経緯及び自分の会社が設立された背景や存在価値を熟知している人は、必ずしも多くないのではないかということに懸念を感じておりました。すべての社員に素晴らしい会社で働いていることをしっかり認識し、自負を持って仕事に臨んでほしいという思いで編纂にあたりました。

発刊予定の約2年4カ月前に社史制作を決定され、編集委員会を発足しておられます。

全社員が編纂趣旨や内容を理解し、全員参加の形で完成させることも社史制作の目的のひとつと考えました。そこで早い段階から企画に着手し、全社員に対する情報伝達と制作物に対する責任を担ってもらうため、社長をはじめ、部長以上の管理職全員に編纂メンバーに加わってもらいました。編集協力委員、事務局スタッフを合わせると総勢12人です。実作業は我々2人が主に担当しましたが、必要に応じて経過説明をし、承認を得て進めていくためにはそれでも時間が足りないくらいでした。

本編を総合史・特別史・技術史・特別寄稿・未来史と5部構成にされたのは
鈴木さんのアイデアだそうですね。

完成社史

「総合史」は設立趣旨や時代背景、40年の歴史といった全体像を記述するためのものです。DSE®誕生に係わる伝説の二人の天才化学者と一人の侍の存在や貢献については「総合史」でも触れていますが、特に重要な部分でもあるので独立させ、海外の雑誌に掲載されたベア氏の講演内容、デノーラ氏の追悼文の転載を「特別史」としました。
また、当社は技術力が売り物の会社ですからDSE ®に関する特許、技術を核に発展させてきた開発の歴史を「技術史」としてまとめました。「特別寄稿」は研究者・化学者の方々によるDSE ®の歴史に対する考察、社内報創立10周年記念号に掲載された関係者寄稿文の転載、OBの方々による特別寄稿で構成しています。
難局に立ち向かい、あらゆる困難を克服してこられた先人の努力、人間ドラマを検証し、創業の経緯、経営理念の起源を明らかにするのが狙いです。また、当社の技術革新が今後進むべき方向を明らかにするための座談会は「未来史」として掲載しました。
最初は2~3部での構成を考えていましたが、どのように分けるとわかりやすいかをいろいろ検討した結果、必然的にこのような構成になったわけです。

「未来史」では大学教授、御社キーマンによる2つの座談会を企画されました。

完成社史

DSE ®の検証、発展に技術的サポートをいただいた日本電気化学学会所属の名誉教授3名にお集まりいただき、金属電極を巡る当時の状況や苦労、DSE ®の未来、弊社に対するご意見を伺いました。当社の技術開発の担い手であるエンジニア5人には、電気化学の可能性、当社の向かうべき未来について話ってもらっています。「未来史」をこのように2つの座談会で構成したのは、将来展望を主観的、客観的の両面で捉えたいと考えたからです。

40年史制作で最も重点を置かれたのはどのような点ですか?

先にも述べたように、当社のルーツを明らかにし、いかに世界の産業界、自然界に寄与してきたか、自社のアイデンティティはどこにあるかを再確認し、共有することが最大の狙いです。自社の企業活動に自信を持ち、モラルアップ、モチベーションアップを図るとともに、今後も産業界、自然界に貢献し続けることを再認識する。ここに重点をおいて制作しました。

扉や口絵にもこだわりを感じます。ここで表現されたかったイメージは?

完成社史

電気化学できれいな地球環境づくり、低炭素社会の実現に貢献している企業であることを自覚し、誇りを持ってもらうため、水や美しい地球の姿を扉や口絵に配しました。

当初よりページ数が大幅に増え、カラーの比率も上がったため費用は6割増となったとか。

取材を重ねてまとめられた原稿の質が高かったため予算重視で削る必要はないと考えました。社史の内容を充実させようとした結果、自然とボリュームアップしたわけです。通常350ページを超えると紙の斤量(重さ)を落とすそうですが、敢えてそうしませんでした。厚みを持たせ、カラーを増やしたのは、当社の社史として恥ずかしくないものを作りたい、社員やお客様の書棚や応接間に飾られて存在感のある書籍を目指したからです。予算を上回ることに反対の声もありましたが、写真のカラー掲載などにこだわりがありましたので最終的には押し切りました。

ほかに制作にあたって苦労されたことはありますか?

完成社史

社内に創業時およびその後の変遷を知る人が少なく、特別史で紹介した2人の天才は既に亡くなっており、創業時の記録は十分残されていませんでしたので総合史は主にインタビューで構成しました。そのため取材回数がかなり増え、手配が大変だったのは確かです。取材対象者はいずれもご高齢でしたので取材にも気を遣いました。

配布後の反響はいかがでしたか?

社員、OB、関係会社、お客様に配布したなかで、皆さんからはよくここまでまとめたと賞賛の声をいただき安堵しました。現在、総合史、技術史、特別史と分け、新人研修や社員研修で活用していますので、これらを通して社員の意識改革は可能だと考えています。

社史を担当される方にアドバイスがありましたらお願いします

私(鈴木)自身の40年史に対する評価は70点です。もっと詳細に書き込みたかったという思いが残っているからです。社史を作ることを考えるなら、何より大切なのはその都度記録を整理し、保存することです。今回、制作にかけた期間は2年4カ月ですが短すぎました。もっと時間的な余裕をもって臨む必要があると考えます。

ありがとうございました。

■ペルメレック電極株式会社・プロフィール
電解用不溶性金属電極(DSE ®)を世界に先駆けて工業化した、各種電解用金属電極業界トップシェアを誇る企業。電極・電解技術を核とした独自の開発力で、現代社会に不可欠な様々な工業製品の生産や素材産業の発展に重要な役割を果たしており、技術力と製品力の高さから、幅広い業界の大手企業から支持を受けている。

http://www.permelec.co.jp

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