見事なチームワークで“20世紀中に完成”の目標を達成
<前回のあらすじ>新年の挨拶で「今期中に30年史」をつくるという鈴木社長の発案で社史編纂の担当者に任命された田中さん。悩んだ末に、叔父さんの助言もあってある出版社のディレクター中村さん中心のチームを組み何とか基本方針を固めました。さて、これからが実務における奮闘の始まりです。
そのような経緯があって、社長のGOサインが出たときには新年会からすでに5週間が経過していました。田中さんは早速、東京営業所内に「社史編纂室」の看板を掲げ、電話、パソコン、ホワイトボード、書棚、机などの必要備品を揃え、総務部から若い社員を2人アシスタントとして配置してもらいました。同時に、意思決定機関として鈴木社長以下5人の「社史編纂委員会」も設置しました。
その後田中さんは、中村さんたちと間をおかずに打ち合わせを重ね、2月末までに仮仕様を決めました。併せて翌年3月の納品までの予定も決め、以後の作業はそれを順守することを申し合わせました。その場ではまた、「お互いに、できないことのいいわけはやめよう。問題が起きたら、どうすれば解決できるかだけを考えよう」ということを約束し合いました。それから12月末まで、田中さんたちは文字通り目の回るような忙しさでした。OBや社員への取材、基礎データの確認、お取引先を取り上げる際のバランスの考慮など、まさに時間との競争でした。
打ち合わせ後に決まったこと−制作スケジュール等について
- 1.資料収集は、5月いっぱいとする
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2.併行して整理・分析を行い、必要に応じて内容の確認作業を進める
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3.6月末までに本仕様・見積もり・仮目次(構成案)を決定する
- 4.原稿は章ごとに出し、即、社内チェックをする(全原稿のチェックは11月末限度)
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5.原稿は全体チェック後、12月末までに完成する
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6.口絵、資料、年表は11月末を限度として決定する
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8.2月15日のMOデータ入稿後の変更は原則として認めない
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9.重要事案の決定は編纂委員会に依頼し、そこへの報告・連絡・相談は田中が行う。それによって、編纂委員の意見不統一を未然に防止する
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10.編集スタッフの窓口は中村に一任する。また、責任のなすりあいや他人の誹謗中傷はお互いに慎み、腹を割って意見を出し合って決まったことは厳守する

「まず、年表が基本になると思いますが、どういう手順がいちばんロスがありませんか?」

「年度別、項目別の台帳作成(重要事項のマトリクス表)を最初に行います。5月末までに各部の責任者にたたき台を作ってもらいましょう。その整理や分類は田中さんと私がまず行い、整理ができた時点で編集スタッフとライターにも加わってもらってその後の方針を決めましょう」

「資料や写真を預かる場合には必ず中身を確認し、封筒も保管しておいて返却時に困らないようくれぐれも注意してください」

「持ち回りのチェックは時間がかかるだけで、人の意見に左右されますから止めましょう。面倒でも必ず人数分をコピーして、時間厳守での回収をお願いします。この遅れが後々まで大きく響きますから」

「意見が分かれたらどうしますか。誰からも決定的な意見が出ない場合も考えられますね」

「その時は、会社の公式記録として編纂委員会で決めてもらってください」

「初期のころの正式な記録が残っていないことはよくあります。私もその点は注意してできるだけ取材時に確認します」
正月休暇の直前、12月27日に最終原稿が完成し、田中さんはやっと正月を迎えられるとほっとしました。その気持は、中村さんやライターさんも同じでした。

「口絵の写真点数はできるだけ絞りましょう。カタログではないのですから、どんな会社かということが一目で分かればいいはずです。特殊なものには写真説明をつければいいでしょう」

「頁数にもよりますが、変化をつけるという意味では検討の余地がありますね」
喧々囂々、議論百出のなか、なんとか原稿をまとめ上げ平成13年の2月中旬、予定通りにMOデータで印刷会社に入稿したみんなは、とりあえず一息つくことができました。とはいっても、色校正(印刷のゲラ刷り)を終えるまでは安心できません。
田中さんは、社史編纂に未経験な自分が1年という短期間で、しかも鈴木社長が意図した内容の社史を作ることができたのは、ひとえに「能力と情熱を持った信頼できるスタッフに巡り会えたこと」だと痛感しました。経験というものが、いかに必要な場に応じて正しい判断力、的を射た決断を即時に下せるかということを学んだのは、田中さんにとってかけがえのない体験でした。そして、人の熱意というものが時として信じられないような力を発揮するということをつくづく思い知らされました。「経験則」と人は簡単に言うけれど、その裏に隠された蓄積の凄さに陰ながら舌を巻いたのも事実でした。
田中さんが無事に配布を完了して、鈴木社長から「ご苦労さんだったね。皆さんの評判もよく、無理をお願いしたかいがあったよ」と労をねぎらわれた時はさすがにほっとしました。同時に、貴重な体験ができた幸運と、重責を果たした幸福感にひたることができました。
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