こぼれ話 いつかは別れる身なれど

いつかは別れる身なれど

先日完成したある会社の50年史は、いろいろな意味で学ぶことが多かった。

この年史は、資料が集まらないからという理由で一旦は断念され、記録や記憶が失われる前にと、50周年を経過後再度計画が持ち上がったといういわくつきのもの。それだけに社長はじめ編纂チームの刊行への思いは特別なものがあった。 内容や体裁についてこうと決めて走り出しても、こうしたらああしたらと次々にプランが出された。とにかく可能性の芽はあらゆるところに広がっていたといってよい。

ライターの原稿にも次々と赤が入り、写真の点数も増える一方で、自ずからページも増え、スケジュールも変更を余儀なくされたが、よい社史づくりという目的の前にそれらは二の次であった(その間に会社の功労者が相次いで亡くなり、その方たちに社史を見せられなかったことだけは悔いておられた)。

社史を手にする人のことをつねに考える編集姿勢も特筆に値した。社員さんの写真ひとつとっても、1人ももれないようにという徹底した配慮が温かい。会社の50年は働く人みんなの50年であるという思いが社史づくりに結集し、そのエネルギーに圧倒された。

そんな50年史が完成して手元に届いたとき、担当者の表情にホッとしたというものとは別のなにかがあることに気づいた。それが、わが子が独り立ちしていくときのような複雑な心境であったと聞いたのは後日のことである。(宮正)

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